『「1級認定3事例――“不支給報道”の中で見えた希望」~現場から伝えるコツと現実~ここが肝心!🙋』
みなさん、こんにちは。
徳島障害年金サポートセンターの楠 昇です。
私は、障害年金専門社労士、そしてNPO法人の代表として、日々現場で申請の壁や制度格差に全力で取り組んでいます。
前回は「障害年金と地方の壁」についてお伝えしました。
今回は、“寝たきりでも障害年金は出ない?”――そんな不安を呼ぶ報道が相次ぐなか、実際にこの夏(7月~9月)に当事務所で1級認定を受けられた3つの事例をご紹介します。
1.「寝たきりでも出ない?」報道と現場の実感
ここ最近、「最重度でも障害年金が不支給」という報道が続いています。
その影響で、「自分も認められないのでは」と不安になる方が増えています。
しかし、実際には、生活の実態を丁寧に証明し、諦めずに証拠を積み上げることで突破できるケースも多くあります。
2.【認定事例1】Aさんの場合(うつ病により1級認定)
Aさんは5年以上にわたりうつ病治療を続け、長期休職を経て昨年3月末に退職されました。
その後、1年が経ってから障害年金の存在を知り、当事務所へご相談くださいました。
「初診は5年以上前で、しかも診療を受けた病院は廃院している。証明はできるのか?」と不安を抱かれていました。
が、当事務所には40年以上前の初診日に関する案件を解決した実績があり、対応可能と判断しました。
手続きを進める中で、新たな事実が明らかになりました。
・通院のみと思っていた約1年間に、実際には11か月の雇用期間があった。
・前職休職中に体調が一時的に回復し、経済的不安から知人の会社に就職した。
・しかし、入社直後から無断欠勤が続き、4か月目以降は出勤不能となった。
これらの経過から、「形式上は雇用契約があっても実際には働けていない」ことを立証する必要がありました。
そこで、依頼者の奥様と協力し、証拠資料を収集。
申立書に整理・記載した結果、無事に1級認定を受けることができました。
3.【認定事例2】Bさんの場合(筋萎縮性側索硬化症により1級認定)
BさんはALS(筋萎縮性側索硬化症)により急速に肢体障害が進行していました。
当事務所は「肢体障害で1級を受けられるか」に焦点を絞って申請準備をスタートしました。
診断確定前に複数の病院を受診されていたため、「主たる病院」と「従たる病院」の関係を精査。
さらに初診日を確定し、認定要件を確認しました。
その過程で、手続きに重要な転機がありました。
・障害認定日の数か月後に胃瘻術を予定していることが判明。
・当初、「肢体障害は1級か2級か微妙」と判断。万一2級であった場合に備え、胃瘻術後に併合で1級を目指す方針を立てた(胃瘻術による2級認定後に、肢体障害2級と併合認定し、1級へ;胃瘻術施行後)。
・その後、肢体障害の診断書が完成し、そこに認定日時点での「構音障害」が記載されていることが判明。
・胃瘻による申請は中止し、障害認定日において、「肢体障害2級」と「構音障害2級」を併合認定させ、1級を申請する方針に変更。
最終的に、この併合認定により1級が認められる結果となりました。
4.【認定事例3】Cさんの場合(脳動脈瘤から脳梗塞となり目の障害に・1級認定)
Cさんは出産時に脳動脈瘤が判明し、公立病院で経過観察を続けていました。
その後、一部が脳梗塞となり視神経が圧迫され、重度の視覚障害が発生しました。
しかし、公立病院のカルテがすでに存在せず、初診日の証明が極めて困難な状況でした。
「申請ができない可能性がある」ことを説明・了承のうえ、手続きを開始しました。
論点を「初診日の確定」と「因果関係の立証」に絞って申請。
ところが、申請後しばらくして、日本年金機構から年金事務所経由して依頼者へ直接連絡が入り、「離婚した夫の扶養配偶者(国民年金第3号)の記録がないため要件を満たさない」との指摘を受けました。
当事務所は直ちに反論し、「扶養事実は明白であり依頼者に過失はない」と主張しましたが受け入れられず、国民年金第1号被保険者取得届を提出するに至りました(提出前に保険料の納付要件の再確認を実施)。
その過程で郵便事故が発生。さらに依頼者の体調悪化により、厚労省を通じ県知事へ母子救護を通報。
加えて、総務省へ郵便事故の調査を依頼した結果、後に全国的な報道へと波及しました。
依頼者・申立人ともに大きな負担を抱えましたが、結果として1級が認められました。
5.3事例に共通する「突破のコツ」
事例は個々に違いますが、実際の生活や就労の困難、医療の状況を記録し、関係機関と連携しながら根気よく進めることが最大の突破口です。
・初診日の証明が難しい場合でも、過去の記録や関係者の証言など、あらゆる手段を使って根気よく情報を集めました。
・病状については、医師と連携しながら診断書に現実的な困難さがきちんと伝わるよう配慮し、日々の生活実態も具体的に記載しました。
・さらに、障害者手帳や搬送記録など社会的な公的証明資料を積極的に提出し、第三者の裏付けを重ねる工夫をしました。
・審査機関からの問い合わせや追加資料依頼に対しても、冷静に事実を整理し、迅速・誠実に対応することで突破口を広げていきました。
「制度が壁でも、現実を粘り強く証明し、専門家や周囲と力をあわせる」
これこそが、“突破”の共通点だと感じています。
6.地方の「不利」でも諦めない
地方での申請は、サポート体制や補助制度が乏しく、交通費や書類準備の負担も大きいのが現実です。
それでも、「専門サポートに頼ることで道が開けた」という声を、今回も強く実感しました。
7.社労士として伝えたいこと
どんな壁にも、「声をあげ」「証拠を重ねる」ことで突破口は見えてきます。
不安や疑問を抱えたままにせず、ぜひ当事務所へご相談ください。
私は、県庁での障害福祉業務や、親として障害児団体に関わった経験を活かし、
「障害や難病を抱えても、再び社会で活躍できる」――その可能性を信じて活動を続けています。
たとえ病気や障害で多くを失っても、人は再び立ち上がれます。
挑戦なくして成功はありません。
私の経験が、悩みながらも挑戦を続けるみなさんの一歩につながれば幸いです。
以上、「1級認定3事例――“不支給報道”の中で見えた希望」についてお伝えしました。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
“諦めない勇気”が、きっと次の希望につながります。
それではまた来週、月曜にお会いしましょう🙋
